ふっち君の日記。

石川梨華ちゃんにガチ恋しているおじさんの記録

宮島旅行記

僕は先日、広島へ旅行に行ってきました。*1
とても長い旅路でした。
大宮から、鈍行で、15時間かかりました。
ケツが、とても痛くなりました。
誰かに掘られたとか、
わかりやすく言えばバックからガンガン突かれたとか、
そういったわけではありません。
なにしろ、僕は処女です。生娘なのです。
結婚するまで、処女は、処女だけは守り通すことが、僕のポリシーなのです。
ケツが痛くなったのは、電車でずっとシートに座っていたからです。
言うまでもありませんね、こんなことは。
決して掘られたわけではありませんから。信じてください。
いやあ、くどいですね。僕は。リフレインリフレインですから。
リフレインという単語すらリフレインしてしまうという。
「ふっち君の文章は、ちょっとくどいね」
と、言われたりもします。
くどくて、ごめんなさい。


まあ、そんなことはどうでも良くて、宮島ですよ。
日本三景の一つ、宮島。
宮島や ああ宮島や 宮島や
そんな俳句があったとか、なかったとか。


広島に着いて、Iさん宅に一泊して、昼すぎに宮島へと向かいました。
Iさんの先導のもと、路面電車に乗って、ゆっくりとまったりと宮島へ。
電車に乗り込むまでは至って順調だったのですが、
その電車に揺られているとき、かなりやばい事態が発生したのです。
それは、あと10駅で宮島につくというあたりでした。
うんこ。
うんこです。
うんこがしたくなりました。
猛烈に。
激しく。
決定的に。


途中でトイレのありそうな駅もなかったし、
Iさんに対して、
「すいません、うんこ、いいですか?」
なんて言うのも、なんだか恥ずかしかったので、
僕はがまんしました。


……なんでうんこなんか出るんだろう、こんなときに。
というか、そもそも、なぜ人はうんこをするのだろうか。
梨華ちゃんも、うんこするのだろうか。
いや、しない。梨華ちゃんは、うんこしない。
あんな可愛い子が排便などという下劣極まりない行為をするわけない。
うんこをするのは下劣な人間だけだ。
僕は下劣な人間だからうんこが出るんだ。
うんこは、きっとその人の醜さのカタマリなんだ。
人は、自分の醜さとかいやらしさをうんことして排便することによって、生きていけるんだ。
ああ、きれいな人間になりたい。
うんこを排出しなくてもすむような、美しい人間に。


宮島前の駅に着くと、僕は速攻でトイレ行ってうんこしました。
煙草を吸いながら、うんこ。
いや、うんこではない。
うんこというのも憚られるような、ビチグソ。下痢便でした。
ごめんなさい。汚い話で。でもこれ事実ですから。
しょうがないのです。事実を書くしかないのですから。
ビチグソしながら、煙草を吸ってるという姿は、
これは、すでにして人間ではありません。
人間に似た何者かです。ひどく醜い。


そんなこんなで、船に乗って瀬戸内海を渡り、
宮島に着きました。
宮島に上陸すると、そこには鹿さんがいっぱいいました。



僕は、獣医さんになりたかったくらいですから、
動物は大好きなのです。
鹿さんに、ちょっと触れてみて、わくわくしたり、
子供の鹿ちゃんを眺めて、にやにやしたりしました。



Iさんの了解を得て、ベンチに座り、煙草をふかしながら、
しばらく鹿さんを眺めました。



僕は、宮島観光をそっちのけにして、鹿さんを眺めて、
そこで、10時間でも、20時間でも、ベンチに座っていたいと思いました。
鹿のような異質で異形な動物が、人間と同じように自由に自然にそこにいるのが、
とても不思議に思われ、どこか違う世界に来たような錯覚にとらわれました。



ああ、この浮世離れした世界で、梨華ちゃんと永遠に二人でくらしたい。
朝から晩まで、毎日毎日、二人で、ベンチに座って、鹿さんを眺めて、
「鹿さん、かわいいね」
「うん」
なんて会話をたまに交わすくらいで、余計なことは一切喋らず、
ただ、ぼーっと、二人で、そうしていたい。



でも今は、時間も限られているから、ずっと鹿さんを眺めているわけにもいきません。
Iさんに案内されて、厳島神社に歩を進めました。
宮島の赤い大きな鳥居が見えました。
足もとが海に浸かっている、あの有名な鳥居です。



TVや写真では何度か見たことがありましたが、
生で見たのは初めてでした。
こんな海の中に鳥居をつくるなんて、おかしな人もいるものです。
遊び心があって、いいですね。粋ですよ、粋。
これが日本人の良いところです。


とりあえず、厳島神社に参拝しました。




ベタですが、ご縁がありますように、と、
五円玉を賽銭箱に投げ入れ、祈りました。
祈りました。真剣に、祈りました。
梨華ちゃんの幸せを。
梨華ちゃんが、幸せになりますように。
梨華ちゃんが、誰よりも幸せになりますように。
梨華ちゃんが、ずっと笑顔でいられますように。


梨華ちゃんが、僕の嫁に来てくれますように。


最後の祈りは、聞き届けてくれなくてもかまいません。
でもそのかわり、他の祈りは、きっと聞き届けてください。
神様、梨華ちゃんを幸せにしてあげてください。
梨華ちゃんを、お護りください。お願いします。


神社で、お守りが売られていました。
買おうか、どうしようか、迷いました。


縁結びのお守り。欲しいなあ。五〇〇円かぁ……
五〇〇円で、梨華ちゃんと縁が結ばれるのなら、安いよなあ……


結局、買いませんでした。
けっして結びつけることのない縁結びのお守りなんて、悲しすぎる。
きっと、僕は耐えられない。


僕とIさんは神社を出て、赤い大鳥居を近くで見ようと、
砂浜に下りました。



海と触れ合うのは、何十年ぶりだろう。
足に触れる砂だとか海水だとか貝の感触だとかが、
圧倒的な存在感で迫ってきました。
これが、自然か。
僕がこれまでいかに不自然な環境で生きていたのかがわかりました。
僕は自然と触れあい、とろけあいながら、赤い大鳥居を眺めました。



海水が、ちゃぷちゃぷと、サンダルを履いた足を優しく撫でました。
足元に目を落とすと、たくさんの、数え切れないほどのヤドカリが、海水に揺られていました。
僕は、ヤドカリさんを踏まないように、踏まないように、慎重に歩きました。
でも、ヤドカリさんは筆箱の入るすき間も無いくらい沢山いたので、
とても避け切ることはできませんでした。


僕らは、砂浜から一段あがったところにあるベンチにすわりました。
本州を背にして、赤い大鳥居は堂々と立っていました。
それは自然に立ち向かっている雄々しい姿のようでもあり、
自然と調和して、優しく見守っているようでもありました。


砂浜では、家族連れや、カップルが、楽しそうに笑いながら、
写真を撮ったり、海とたわむれたりしていました。
鹿さんも、何匹かは、砂浜におりているものがありました。
僕は、本州と、海と、砂浜と、ヤドカリさんと、鹿さんと、親子と、カップルを、
このベンチに座って、ずっと、眺めていたく思いました。
できれば、梨華ちゃんと一緒にここで眺めたく思いました。
「みんな、幸せそうだね」
「うん」
そんな会話を交わすだけで、他には何も喋らず……
ずっとずっと、梨華ちゃんといっしょに……


それから、おみやげもの屋さんに行きました。
僕が物色してると、Iさんが、
「ねえ、梨華ちゃんがあるよ」と言いました。
え、梨華ちゃん? 宮島において、「梨華ちゃんがある」というセリフは、
なんだかひどく場違いに響きました。
しかして、梨華ちゃんはありました。
ある、というよりはむしろ、いました。存在しました。梨華ちゃんが。
いや、正しくはリカちゃんが。人形として。


まさか、宮島で、梨華ちゃんに会えるとは思いませんでした。
僕の想いを神様が酌んでくれたのでしょうか。
僕があまりにさみしそうにしているから、
リカちゃん人形をそこに置いておいてくれたのでしょうか。



千円ちょっとするそのリカちゃん人形を、
僕は多少迷ったのちに、買いました。
リカちゃんは、お土産用の包みに、大事そうに包まれました。


僕は、そのリカちゃん人形の包みを胸に抱いて、宮島を離れました。
船に乗って瀬戸内海をわたるときには、
「この人形を抱いて、この海で、死にたいな……
梨華ちゃんと、心中だよ」
なんていう冗談を言ったりしました。


そんなこんなで宮島観光を終え、そのあとは、原爆ドームに寄り、
Iさん宅に帰り、酒を飲んで、リカちゃん人形を抱きしめながら、眠りました。
なぜか、涙があふれました。
いるのに。梨華ちゃんは、いるのに。
僕はいま、梨華ちゃんを抱きしめているのに。
なんで、こんなに悲しいのだろう。


「りかちゃん違いだよ。それは梨華ちゃんじゃなくて、リカちゃんだよ」


僕は、リカちゃん人形の袴をめくり、下から覗きこみました。
かわいらしいパンティーが見えました。色は白でした。
僕は、自分が人間ではなくなったのだと、
そのときに感じました。


Iさんには、宿を提供していただいたり、
観光案内をしていただいたり、感謝の言葉も容易に出てきません。
とても楽しい旅行でした。


楽しかったね、梨華ちゃん
ほら、これ、赤い大鳥居をバックに撮った写真だよ。



うん、うん、よく撮れてる。
宮島、とっても楽しかったね、梨華ちゃん
また、いっしょに行こうね。
また、鹿さんや、ヤドカリさんに、会いに行こうね。
あはは、僕は馬鹿だなあ。
赤い鳥居なんか、背景なんか、全然目に入らないや。
梨華ちゃんばっかり、見つめているよ。

*1:この文章は8月28日に書かれました。