飲んでいるとき、その友達はこんなことを言った。
「がんばれって、言ってくれてもいいのにな。
みんな冷たいんだよ俺に対して」
それに対し僕は、
「でも、がんばれがんばれってやみくもに言うのも
白々しいし、嘘くさいんじゃないかなあ」
「辛いときは、がんばれって言って欲しいんだよ。
愚痴になるかもしれないけど、話を聞いてもらいたいんだ。
そして、がんばれって言ってほしい。
自分でも、どうすべきかなんてわかっている。
でも、踏み出せないんだ。不安なんだ。話さずにおれないんだ」
傷の舐めあいかもしれないけど、
舐めあってるうちに、癒えることもあるんじゃないか。って思った。
お互いに持ちつ持たれつ、持たれつ持ちつ。
辛いときは、それを吐露し合って、お互いに聞いてあげて、
お互いにがんばれって言ってあげるのが、友というものなのかもしれない。
吐露してしまえば、気持ちも楽になるかもしれない。
そうすることで、一歩踏み出すことができるかもしれない。
がんばれっていう一言は、きっとその後押しになる。
それが自己愛に基づく励ましであっても。
結局のところ、そうだ、僕も聞いてもらいたいんだろう。
吐き出して、楽になりたいんだろう。
がんばれって言ってもらいたいんだろう。
だからこの日記を書いているんだろう。
梨華ちゃんが好きだ、って。
どうすべきかなんて、わかりすぎるくらいわかっているけど。
そして僕は思った。100%の愛なんて、必要ないんじゃないかと。
半分は自己愛でいいから、もう半分、50%の愛でもって、
人を思いやればいいのだと。
お互いの愛が交差する瞬間に、それは100%の愛になるのかもしれない。
人という字は・・・という金八先生の話を思い出した。
もちつもたれつだよ。そういうことなのかもしれない。
なっち、多分そういうことだよ。
なっちとファンとの間も、持ちつ持たれつだよ。