ちょっとこれ何とかならないのかな。健康保険証じゃ駄目ですか。これでどうにか押しきれないものかな。
「駄目です。写真付きでないといけません」
「ちょっと時間がなくて、住基カード作れなかったんですよ」
「あなたの事情なんか知りません。とにかく写真付き身分証がなければ、ご入場できません」
「なんだよ、チケ代だって払ったんだぜこちとら」
「申し込んで当選した以上、払うのが当然です。そういう決まりです」
「わかった、入れないんなら、払い戻しをしてくれないかね」
「注意事項をお読みになりましたか。入場できない時でも、チケット代の返金は致しません、と書いてあります」
「おいおい、ふざけんなよ。じゃあやっぱり入場する!」
「だから、写真付き身分証がないと無理です」
「写真なんかどうでもいいだろうが。僕はまぎれもなく本人だ、ふっち君っていうんだ。なんだ君は、こんな真っ当なファンである僕を、信用できないというのか。人を馬鹿にするのもたいがいにしろ」
「身分を偽ってる人は、だいたいにおいて自分は本人だと主張するものです。あなたもその類かもしれません。初対面のあなたを信用なんてできません。真っ当なファンだったら、ちゃんと真っ当に書類を持ってきてはいかがですか。そしてその言葉遣い。とても真っ当には思えませんね」
「ちくしょう! どうして君はそんなに優しくないのかね。人情というものはないのかね。僕は梨華ちゃんに会いたくて、わざわざ横浜までやってきたんだ。なあ君よ。心にダムはあるのかい?」
「心にダムはありますが、門を開けるのは、時と場合によります。今は、開くべき時ではないのです。私は検査するために、雇われているんです。それが仕事なんです。それでお金を頂いているんです。情にほだされて、一つの例外を作ったら、同じようなことをまたしてしまうだろうし、そうなったら仕事になりません。いいですか、私もあなたも、高度資本主義社会の中で生きているのです。情なんてものは、ある時には、まったく不要のものなんです」
「ちくしょう! もう僕は、畜生しか言うことがなくなってしまった。しかたないから、帰るけれども、うらんでやる。お前のことを、恨み続けてやるからな一生」
「どうぞお恨みくださって結構。恨まれるのも、私の仕事のうちですから」
「・・・ちくしょう!」
そうして僕は、「さようなら、梨華ちゃん。また会う日まで・・・」とつぶやいて、横浜BLITZを後にするのであった。泣きながら。本当に、泣きたくなってきた。やっぱり、入れないのかな。梨華ちゃんのこと励ましてあげたかったけど、ごめん、どうやら無理そうだ。