ふっち君の日記。

石川梨華ちゃんにガチ恋しているおじさんの記録

坊主

 中野サンプラザの前につくと、さっそく声をかけられた。
 「君もしかしてふっち君じゃないの。日記読んだよ。感動しました。頭を撫でさせてください」
 「どうぞどうぞ。つまらない頭ですけど」
 そうしたら人がどんどん集まってきて、俺も俺もみたいなことになり、たくさんの手が僕の頭をなでなでした。中に一人乱暴なのがいて、僕の頭を思い切りひっぱたいた。すごくいい音がして、ちょっと面白かったけど、暴力はよくない。「あなた、ラブアンドピースですよ!」と僕が叫んだら、みんな次々に愛と平和を叫び出した。それは急速に辺りに伝播していき、通りすがりの人も加わって、中野サンプラザ前の広場はシュプレヒコールの渦と化し、その渦は、天にも届きそうなほどのすさまじい竜巻になった。

 という妄想をしながら、時計台のところに寝そべって夜空をながめていた。星が一つだけ見えた。目をこらさないと見えないような星だけど、星は星だ。視界のはしに、何かがチラチラしている。桜チラリなのか?と思って起き上がると、ヲタっぽい服装をした人がひらひらと手をふっている。
 「コンサートのチラシ、もらってきてください」
 「なんですって?」
 「コンサートのチラシ、もらってきてください」
 「美勇伝のですか?」
 「そうです、コンサートのチラシ、もらってきてください」
 「僕がですか? え、なんで僕が? あなたが自分で行ったらいいじゃないですか」
 「いや、あなたがもらってきてください」
 「いや、あなたが自分でもらってきなさいよ」
 「いや、ムリです、あなたがいってきて」
 「無理じゃないですって。ただチラシくださいって言えばいいんです。あなたならできます」
 「あなたが、コンサートのチラシもらってきてください。ふたつもらってきて」
 「……しょうがないなあ。え、二つですか。わかりました。しょうがない」
 僕は千鳥足で中野サンプラザの入り口を通りぬける。公演が終わってから1時間くらいは経っていたけれど、まだスタッフの人が立ち働いている。僕は坊主なうえに千鳥足だし変質者だと勘違いされそうだなあ、と思いながら階段をのぼっていった。僕がちょうど2階に到達したときに、スタッフの人がバリケードとしてのテーブルを並べ終えた。僕はテーブルごしに言った。
 「すいません、コンサートのチラシをほしいんですけど、二つ。お願いできますか」
 「え、何、チラシが欲しいの?」
 「すいません、お願いします」
 「明日も公演があるから、二つはあげられないんだよね。はいこれ」
 「すいません、ありがとうございます」
 チラシをくれた人は、ヤクザみたいな顔つきをしていてすごく怖かった。何だか梨華ちゃんのそばにはいつも、怖そうな人が立っている。僕のことをやっつける準備をして。
 「これ、貰ってきましたよ。一つしかもらえなかったですけど。すいません」
 「あの、あなたはタクシーとか、おいかけないんですか」
 「へ、なんですか、タクシーを? そんなの追いかけませんよ。迷惑になるから」
 「めいわく、そうか、めいわく」
 「タクシーを追い回したりするのは迷惑です。そんなことしたらいけないです」
 「あなたは、この、イベントにいきますか」
 「え、何ですか。へーこんなのやるんですね。でも梨華ちゃんが出ないんだ。それじゃあ行かないですね。申し遅れましたが、僕はね、梨華ちゃんが好きなんですよ。石川梨華ちゃん。梨華ちゃんが出るなら行きますけどねえ。あなたは誰が好きなんですか?」
 「わたしは、えーと、このコです」
 「美勇伝ではないんですね。ごっちんですか。なるほど。ごっちんはいいですよね」
 「りかちゃん、なんでイベントでない」
 「梨華ちゃんはねえ、忙しいんですよ。人気者なんです」
 「あなたはりかちゃんがいちばん、そのつぎはだれ」
 「梨華ちゃんの次ですか。美勇伝の中で? そうだなあ難しいですねえ。みーよかなあ」
 「あなた、コンサート見ましたか」
 「それがですね、僕は見てないんですよ。ずっとここで酒を飲んでたんです。一人で。寂しいでしょ。頭なでますか?」
 「それじゃ、さよなら」

 その人はけっきょく僕の頭をなでなかった。チラシに対してのお礼もなかった。いったい何なんだろう。でもとにかく僕はひとつ良いことをした。僕がここに来てなかったら、あの人はチラシを手に入れる事ができなかっただろう。気ちがいとわざわざ関わりあう人間なんて、気ちがいくらいしかいないから。