死にたくない

 駅に向かう途中、右手をクンクンしてみると、えもいわれぬ感じのパフュームがした。胸がきゅんとなった。一番最後に握手をした相手は梨華ちゃんだったので、僕はこのパフュームを梨華ちゃんの香りだと決め付けた。駅につく。電車がくる。僕は長いすの端っこに座り、手すりを利用して頬杖を突いた。そして右手をさりげなくクンクンしながら「ああ、梨華ちゃん、好きだよ……」と呟いた。

 家につくと、とうとうフリーダムがやってきたぞと思い、右手に鼻をくっつけて力いっぱい吸い込んだ。肺に息を溜めたままで梨華ちゃんのことを想い、吐き出したくないと思い、でも苦しくなって一気に吐き出してしまった。何度も何度も同じことを繰り返していたら、過呼吸みたいな感じになってしまい、ぜえぜえ息をし、じょじょに気が遠くなっていき、「梨華ちゃん、息が苦しいよ、梨華ちゃん、好きだよ、僕は死んでしまうのだろうか。死にたくない! まだ梨華ちゃん結婚してないのに死にたくない! まだ石川梨華写真集「風華」 [DVD付]をアマゾンのダンボール箱から出してないのに死にたくない! でも僕は、ああ、やばい、死にそうだ。これは絶対やばいって。マジ死ぬんじゃね? だって息が超しにくいもん」。でもだんだん楽になってきた僕は、ふたたびクンクンやりはじめた。始めはおそるおそるだったが、だんだん盛りのついた犬のようになり、気が付いてみると、ジェット機のような轟音をたてて手のひらの匂いを吸い込んでいた。するとまた過呼吸みたいな感じの症状が出てきた。「ごほん、ごほん、死ぬう! 梨華ちゃんたすけて! 死にたくない! 梨華ちゃんを世界一の幸せ者にするまでは絶対に死にたくないのに! はあはあ、梨華ちゃん、だけど僕はもう駄目みたいだ。自分のことは自分が一番よくわかるのさ。りかりん、さようなら、大好きだったよ……。いや、天国に行っても梨華ちゃんのこと大好きでいるからね……。ガクッ」。しかし意外にも僕は死ななかった。だんだん呼吸が楽になってくると、「りかりん……好きだよ……」と言いながらふたたび手を鼻に近づけていった。