その5 2ショット撮影会

 梨華ちゃんの待つルームの前では、背広を着たたくましいお兄さんが威嚇的な声で誘導していました。僕の順番は10番目でしたから、心の準備がまったくできないまま、梨華ちゃんへと続く入口が目の前にせまってきました。入口からルームに入ると、目の前にでかい姿見がありました。その脇には、「いよいよ2ショット撮影!身だしなみは大丈夫でしょうか!」という感じの貼がしてあって、親切だな、と思った。姿見は大きな衝立に沿って立てられており、その衝立の向こうには梨華ちゃんがいるようでした。前に並んでいる人たちが衝立の横から身を乗り出すようにして梨華ちゃんを覗き見ていたので、僕も梨華ちゃんの姿が見たくてたまらなくなり、前の人の横にさらに身を乗り出すような形になると、梨華ちゃんの姿が見えましたが、すぐに誘導係の怖そうなお兄さんが「まっすぐ並んでください!撮り終わった人が通りますから!」と大声で言ったのでビクッとなり、みんなすぐに体を衝立の陰に引っ込めました。「怒られちゃった。いけないことしちゃった。梨華ちゃんに嫌われちゃったらどうしよう」と思って反省し、ふみゅうとなりました。梨華ちゃんはとても真面目な性格の人だから、ルールを守らないような人のことは蛇蝎のごとく嫌うような気がしています。とうとう次が僕の番となり、係りの人に「希望のポーズは何ですか?」と尋ねられました。あらかじめバスの中でポーズを考えていた僕は、「ダブルピースで!」と即答しました。なぜダブルピースなのか。ピースサインは平和の象徴であって、ダブルピースはさらなる平和を意味するからです。僕と梨華ちゃんが同時にダブルピースをすれば、それはクアドラプルピースとなり、前代未聞の平和が訪れるような気がしました。そしてその驚くべき平和が完成した中で、僕と梨華ちゃんの間に生まれるものが、愛とでも呼べるような、心がポカポカするようなものだったらいいな、と思ったのです。

 前の人の撮影が終わり、ついに僕が呼ばれました。うまく動かない手足をなんとか動かして、少しずつ、丁寧に前に進み、石川梨華ちゃんの前に立ちました。梨華ちゃんは座っています。僕を見ながら少し不安そうに笑っています。ピンク色の浴衣を着ています。とても似合っています。やや日焼けした肌がすごく綺麗です。僕の頭と心の中を白い光がかけめぐるような、そんな感覚がありました。僕は「りっちゃん*1」て言おうと思っていたけど、なんだか馴れ馴れしいような気がしてきて、「よろしくお願いします」とだけ言って頭を下げました。梨華ちゃんも「よろしくお願いします」と言ったような気がしたけど、頭を白い光がかけめぐっていたためよく覚えていません。僕は多分すごくきごちない歩き方で、梨華ちゃんの右隣のイスに座りました。いま考えると、緊張を逆手にとって、右足と右手を同時に繰り出して歩く、という古き良きギャグをやればよかったかな、とも思うけれど、もしツッコまれなかったらそれはそれで苦しいような気がするのでどうだろう。係りの人がよく通る声で「ダブルピースでお願いします!」と僕らに言いました。僕は梨華ちゃんの方を見られないまま、視界の左隅にぼんやりとしたピンク色を感じながら、右手と左手でダブルピースをしました。カメラの方を見ました。顔の筋肉がピクピクと痙攣するのを感じました。変な写真になったらやだよう、と思いましたが、思えば思うほど痙攣は強くなりましたし、梨華ちゃんがすぐ隣にいることを意識するとさらにピクピクしました。そのような引きつった顔を僕がしているせいか、カメラマンの人が「笑ってくださーい!」と威嚇するので、僕はいよいよ追い詰められた。僕は自分の笑顔をとても醜いと思っていて、写真を撮るときにはいつもほぼ無表情なのだが、梨華ちゃんの前でこう言われたら、笑わないわけにはいかない。僕は笑おうとしたが、笑い方がぜんぜん分からなかった。笑顔の形を思い出そうとするかのように、頬や口元の筋肉を色々な方向へと不自然な力で動かしているうちに、カメラのシャッターが切られた。こんなのきっと変な顔だよ、どうしよう、泣きたいよ、せっかく梨華ちゃんとの2ショットなのに、とすぐに思った。シャッターが切られた後、係りの人がパソコンでその画像を確認する時間が5秒ほどあった。そのあいだ梨華ちゃんは僕のすぐ左隣にいたから、梨華ちゃんに話しかけることだって、笑いかけることだってできたのに、なぜか僕は黙ったまま正面を見つづけていた。梨華ちゃんがすぐ隣にいる、沈黙に支配された5秒間は、しかしなぜか全く気まずさのない、とても心のぽかぽかする幸せな時間だった。「OKでーす!」と係りの人に言われて僕はやっと梨華ちゃんの方を向き、「ありがとうございました」と言ってペコリと頭を下げた。梨華ちゃんは相変わらずどことなく不安そうだったけど、それでも笑顔で応えてくれて、嬉しかったです。

*1:梨華ちゃんがある日突然、自分のことを「りっちゃん」と呼び始めました。ヲタにも「りっちゃん」って呼んでほしがっていたが、結局ヲタの間にその呼び名が定着しなかった。梨華ちゃん自身も飽きたのか、最近ではあまり口にしなくなった。