ふっち君の日記。

石川梨華ちゃんにガチ恋しているおじさんの記録

その16 グループ写真が届く

 おはようございます。先日、バスツアーから2ヶ月くらい経ってやっと、梨華ちゃんと撮ったグループ写真が届きました。玄関横の下足棚の上に置いてあったそれを持って自分の部屋に入り、その写真を見た。グループの中央に立ってにこにこしている梨華ちゃんがかわいかったので、「梨華ちゃんかわいいなあ! 梨華ちゃんかわいいなあ! どうしよう、すげーかわいいんだけど! ねえどうしたらいいの?」と、部屋には僕しかいないのに、中空の誰かに向かって質問しました。どうしたらいいのかについては、当然ながら誰も教えてくれることはなかった。

 沈黙に耐えられなくなった僕は、携帯を手に取ってツイッターを見た。他の参加者のところにもグループ写真が届いたらしく、僕と唯一相互フォローになってくれている心の広い梨華ヲタのSさんが、「このグループ写真は、梨華ちゃんの部分だけがハメコミ合成みたいに見える。梨華ちゃんだけ別の次元に存在しているかのようだ」という趣旨のツイートをしていた。それを受けて手元の写真を改めて見つめる。梨華ちゃんが真ん中に立っていて、ヲタ7名がその両脇にやや離れて前後2列で並んでいるのだが、確かに梨華ちゃんだけとりわけスタイルがよく、整った顔立ちをしており、若干この世から浮き出ているようにも見えた。しかし僕も、32のおっさんにしてはけっこう可愛らしく写っていたので、梨華ちゃんが異次元というほどでもないように思われた。手をつなぎさえすれば、梨華ちゃんを僕たちと同じ次元にとどめておけるような、そんな気がした。でも、ずっと手を離していたら、梨華ちゃんはどこか遠いところ、それこそ異次元にでも行ってしまうような、そんな不安も漠然と胸に広がってきた。

 そのようにして心の中にさまざまな色合いの感情が広がり、僕の心は絵の具のパレットのようになっていた。写真を眺めているうちには、写真を撮ったときの情景や心持ちが思い出され、その前後の思い出も色あざやかに蘇り、今もバスツアーの真っ最中であるかのような気持ちになってきた。心のパレットにはどんどん綺麗な色やくすんだ色などが加わり、広がり、他の色と混じっていく。このたくさんの色で、僕はどうしよう。どうしたらいいんだろうか。持ち余している。このたくさんの色を使って、そうだ、バスツアー日記を書こう、と思った。

 このバスツアー日記は今回で16回目だが、いまだに1日目が終わっていない。添乗員さんが別れ際に「帰宅するまでがバスツアーです」と言っていたけど、そんなことは全くなかった。帰宅しても僕のバスツアーは終わらなかったし、今でもぜんぜん終わっていない。少なくとも、心の中のパレットの絵の具で、このバスツアー日記を描ききるまでは終わらないだろう。そして、このバスツアー日記は、まだぜんぜん終わりそうにない。何しろその15まで書いていまだに1日目の夜である。12時間くらいしか経っていない。1話あたり、1時間も進行していない。次回の梨華ちゃんのバスツアーの日までに終わるかどうかすら心配になってくる。1年くらいかけてバスツアー日記を書き終わった頃には次回のバスツアーが催され、また1年くらいかけてバスツアー日記を書くことになるかもしれない。これが毎年繰り返され、僕は死ぬまで梨華ちゃんのバスツアー日記を書き続けるのかもしれない。そんなのってまるで気ちがい沙汰じゃないか。でも何だか、別にそれでもいいような気がする。人類の歴史上で、そんな人間が1人くらい存在してもいいんじゃないだろうか。梨華ちゃんも、きっと苦笑いしてくれると思う。梨華ちゃんに「まったくもう、しょうがないんだから」なんて苦笑いしてもらえたら、僕はそれで十分のような気がする。あと、「心のパレット」などという中学生みたいな恥ずかしい表現をしてしまい、すみませんでした。恥ずかしさに耐えられなくなりました。