その29 ジャンケン大会

 梨華ちゃんが「じゃ〜んけ〜ん!」と可愛らしい声で言い、ジャンケン大会の火蓋が切って落とされた。梨華ちゃんの声は可愛らしい声だなあと思う暇もなく、「ポン!」という声が続いた。しかしそれは「ポイ!」だったのかもしれない。でも「ポン!」の可能性が高いような気がする。この、ポンだったのかポイだったのか問題は、後日購入したバスツアーDVDを確認すればすぐにわかるのだが、僕は確認をするつもりがない。なぜなら、それが「ポン!」であろうと「ポイ!」であろうと、気にする人間は誰もいないと思われるからだ。今もっともそれが気になっている人間であるだろう僕でさえ、かなりどっちでもいいので、僕以外の人間はなおさらどっちでもいいにちがいない。「ポン!」であったとしておこう。梨華ちゃんはあらゆる日本人がそうするように、「じゃ〜んけ〜ん!」の時よりもやや勢いをつけて、「ポン!」と言った。このことから、梨華ちゃんは神でも仏でもなく、僕らと同じ日本人、すなわち人間であることが推測できる。人間対人間の戦いだ、これは神との戦いではない、人間同士の戦いだ。にんげん。にんげん! そう思いながら僕はチョキを出した。梨華ちゃんはグーを出した。というのはウソである可能性が高いと言える。なぜならもはやこのジャンケン大会は、今から半年以上の前の出来事であるからだ。僕がどんなやつを出したか、梨華ちゃんがどんなのを出したか、そんなことを覚えているはずがない。バスツアーDVDを見てもわからない。僕はDVDに映っていない。DVDの画面の外に僕はいる。梨華ちゃんの出したジャンケンのやつはDVDで確認することができる。しかしそれが何回目のジャンケンであるかは誰にもわからない。編集されているから。編集する人はどんな気持ちで編集するのだろう。梨華ちゃんかわいいなあ、とか思いながらするのだろうか。僕はとにかく速攻で負けた。それだけはわかる。そして熾烈なジャンケン大会を最後まで生き残った幸運な一人のファンが、梨華ちゃんに呼ばれ、照れくさそうにしながら舞台に上がる。長身の好青年である。若い。梨華ちゃんより歳下かもしれない。「あの若さで梨華ちゃんの熱烈なファンだなんて、見込みのある青年だ。なんでAKBに行かないんだろう。偉いなあ」と思った。

 優勝者に贈られる、梨華ちゃんの生声入り目覚まし時計の完成のために必要があり、その青年の名前が梨華ちゃんの可愛い声によって尋ねられた。その青年はゆらゆら揺れて照れながら「サトシです」と名乗った。サトシ(仮名・敬称略)*1は、想像したとおり、知り合いと思しきファンたちからの愛情と羨望の入り混じった野次を浴びながら舞台に上がったのだった。サトシは梨華ちゃんによって「どんなセリフを入れますか?」と尋ねられた。サトシは、照れながらくねくねした。どうしようかな〜、という感じであった。はっきりしない。にやにやしている。視点が定まっていない。サトシの仲間のファンたちは軽い苛立ちを見せ始めた。「早くしろよ〜」みたいな野次が飛んだような気がする。しかし飛んでいないかもしれない。よく覚えていない。何しろ半年も経っているのだ。ただ、くねくねしてはっきりしないサトシに対して、梨華ちゃんが若干の苛立ちを見せはじめたのは確かに覚えている。「男でしょ! さっさとしなさいよ!」みたいな雰囲気が梨華ちゃんからは発せられており、梨華ちゃんはデートに行って男がメニューをさっさと決めなかったら怒るタイプの人かもしれない、と思った。もし僕が梨華ちゃんとデートに行くことになったら、3秒でメニューを決定しよう、と思った。それがスパゲティだろうがカレーだろうが安かろうが高かろうがどうでもいい。とにかく3秒でなければならない。でなければ梨華ちゃんに嫌われちゃうかもしれない。嫌われたくない。それは死を意味する(しません)。
 サトシなにぐずぐずやってんだよ! 僕だったら「ふちりん、朝だよ、起きて! 起きないとチューしちゃうぞ! あと……好きだよ! でお願いします」って3秒以内に答えるのに。と思ったが、そんなことが言えるのは僕が敗北者で、暗闇の中に沈んでいるからかもしれなかった。舞台に上がり、まばゆいライトを浴び、多数のファンの注目を集め、梨華ちゃんが目の前で待機している状態で、果たして冷静を保っていられるだろうか? いられないような気がした。サトシは僕だったかもしれないのだ、サトシのことは温かく見守らなければならない、そう僕は考えた。

 サトシは、けっこう悩んだ結果、「サトシさん、起きてね!」という普通すぎるメッセージ梨華ちゃんにお願いした。「すごい普通!」と思ったけど、ここで面白い感じのメッセージをお願いするヲタもあまり好感が持てないような気がしたので、僕はサトシを肯定した。ってなんか偉そうですみません。ごめんね。サトシ好きだよ。怒っちゃやだよ。

*1:敬称を略してしまい、すみません。