その38 大浴場にて

 七夕バスツアーに行ってから1年が過ぎました。今こうやって七夕バスツアー日記を書いていると、そのツアーはつい最近、2013年7月にあったのではないかと思われそうだけど、このバスツアー日記は、2012年7月に開催されたツアーについてのものです。来年の七夕までには終わればいいなと思っていますが、このようにいちいちレポートに時間をかけていたら、梨華ちゃんとの思い出を綴るにあたって、寿命が足りないのではないか、という不安がもたげてきます。長生きしなければならない、と思う。僕が長生きしたい理由は、二つしかない。年金保険料を掛け捨てで終わらせたくないということと、梨華ちゃんに関する思い出を余さずインターネットに残しておきたいということです。この二点から、僕が生きる理由は金と女でしかない、ということが言えるかもしれない。あと、できれば名誉もほしい。なぜなら、金メダルや国民栄誉賞内閣総理大臣の息子などの名誉があれば梨華ちゃんとお知り合いになれるかもしれないから。各界の著名人が集まる立食パーチーに出席し、舌がとろけるような高級白ワインの入ったグラスで梨華ちゃんと乾杯するのだ。つまり僕は、金と女と名誉を渇望しながら生きている、ろくでもない俗物野郎ということになる。テレビドラマなどに出てくるわかりやすい悪役と同じような感じである。僕はそのような安っぽい人間を深く軽蔑、嫌悪しながらこれまで生きてきたのだが、ふと気付いたら僕が求めているものも、その分かりやすくて安っぽい悪役たちと根本的には変わっていなかったのである。おしり。
 
 コテージから出て階段を慎重に降りた僕たちは、舗装された山道をフロント棟へ向かって歩いていく。3分くらいで閑散としたフロント棟に到着し、大浴場の入場チケットを係の者に手渡す。大浴場への通路を進んでいく。男湯と女湯の入口がある。ここで僕は、迷いなく女湯の暖簾をくぐろうとしてツッコまれる、という面白いやつをやろうとしたけど、僕が一番後ろを歩いていたことと、まだ我々がボケたりツッコんだりという親しい間柄にはなっていなかったこともあって、やらなかった。

 そして我々は服を脱ぎはじめる。阿久津さん(仮名)と志村さん(仮名)はちんこを出すことに何の躊躇も見せていなかったので、男らしい!と思った。僕はできるだけちんこを見られないようにパンツを脱いだ。しかし同時に、ちんこを見られないように頑張っていることが悟られないような自然さでパンツを脱ぐことも意識した。僕はその二つを同時に成立させるための微妙な調節にひどく神経を使った。なんとか自然にタオルを腰に巻くところまで行き、いよいよ浴場に入る。

 そこには当然ながら裸の男たちがいた。おそらく梨華ちゃんのバスツアーの参加者がほとんどだろう。梨華ちゃんのファンたちには、やっぱりちんこがあるんだ、と僕はしみじみ思った。僕はファンたちのちんこの気持ちを考えながら、体を洗った。そして露天風呂に向かった。ぬるいお湯につかりながら、外の景色を眺める。降る雨の黒い線が微かに見え、奥のほうには山の闇が果てしなく広がっていた。今この状態であの果てしない山の闇に突き進んでいったらどうなるだろう、死ぬんだろうか、と思って、少し怖くなった。

 文明に守られているのだ。大浴場、コテージ、バス、ライブ、テレビ。文明があるから僕はここにいる。文明があるから梨華ちゃんに会うことができた。文明がなかったら、石器時代とかだったら、梨華ちゃんを知ることすらなかっただろう。文明があってよかったなあ。でも梨華ちゃんテレビで会わなければ、梨華ちゃんを好きになりすぎて、出口の見えない深い闇の中で苦しむこともなかっただろう。どちらが幸せだったのだろうか。でもそんなこと今さら考えてもしょうがない。僕はこの時代に生まれ、テレビを通して梨華ちゃんに出会ったのだ。そこは動かしようがない。その事実と向き合って生きていくしかない。どうやったらお互いに幸福になれるか、一生懸命考え続けなければならない。

 と物思いにふけっていた僕はふと目を上げると、ちんこを見た。志村さんのちんこだった。志村さんは露天風呂の縁に腰かけ、阿久津さんと談笑している。湯に深く浸かっている僕の目線からは、ミニスカ女子のパンツ丸見え状態的に志村さんのちんこが丸見えだった。志村さんは腰にタオルを巻いてはいるが、ちんこをガードする意思は一片も感じられない。男らしい!と思ったが、あまり見つめるのは失礼なので僕はすぐに目を逸らした。