その42 掃除機のホースみたいなやつで頭を吸われることについて

 誰がいつの間に入れたのか知らないが、冷蔵庫の中には朝ごはんのセットが鎮座していた。それは全て未調理のものだった。ベーコン、ソーセージ、生卵、インスタントコーヒーなどが重箱にややぞんざいに詰め込まれ、5人分用意されていた。我々ヲタはそれを各自で調理しなければならないようだった。この施設に料理人は存在しないのだろうか。いることはいるが、ごく少数であり、一部の裕福な人々にしか作らないのだろうか。薄々そんな気はしてたけど、もしかして我々はもっとも安いプランで宿泊しているのだろうか。もしコテージの中に、料理なんかぜんぜんできない男たちしかいなかったら朝食はどうなるのだろうか。キッチンに積まれた生の食材たちを見つめながら僕は、男たちが火を使うのをあきらめ、食材を生のまま貪り食っている様子を想像した。男たちは「ワイルドだろう?」と言いながらこちらをチラチラ見ている。いやあ、ワイルドですね、ウリャヲイ!の掛け声とともに行われるヲタ芸のようにワイルドです、と僕は苦笑いする。その一方、梨華ちゃんは静かなジャズの流れる喫茶店で優雅にモーニングセットを食している。時おり窓から山の景色を眺める。朝陽に洗われてとてもきれいな空と木々。梨華ちゃんは頬杖をつき、木々の輪郭を目で辿りながら今ちょっと気になっている男の人のことを考える。あの人は今何をしているかしら。この仕事が終わったら、メールでもしてみようかな。僕は頭を振り、身だしなみを整えるために洗面所に向かう。そこでまずコンタクトを入れる。顔色はよくない。何しろ丸2日くらい寝ていないのだ。しかし伸びた髭のせいもあるかもしれない。小型電動シェーバーのスイッチを入れる。この後、梨華ちゃんとの写真撮影やグループトークがあるから、青い感じにならないように時間をかけて根本ぎりぎりまで髭をそる。エナメル質が削れるほど歯をみがく。髪が燃えそうなほどドライヤーをかける。僕はすぐに前髪がくりんくりんになるため、燃やすくらいの勢いでやらねばならない。生まれつきくりんくりんの度合いが高すぎて大して効果はないけれど、それでもやらないよりはマシだ。頭がやや焦げ臭くなってきたところで(焦げてません)、整髪料をつける。霧状のものを頭にかけて揉みこむと今流行りの無造作ヘヤーになるという優れものだが、僕がやるといつもかっこよくならない。妻夫木聡を目指してやるのだが、なんか違う、ぜんぜん違う、どうやってもオシャレに目覚めた冴えない中学2年生みたいな感じになる。なんでだ! 妻夫木になりたいのに!と思いながらの前で髪の毛を繊細に、時に大胆にいじっていると、洗面所に入ってからかなり時間が経っていることに気が付いた。もう15分近く経過しているかもしれない。あまり洗面所にこもり続けていたら他の人たちに迷惑だし、朝食を食べる時間もなくなるし、なによりナルシストだと思われる。ナルシッサスというあだ名がついたらどうしよう。あいつただのキモヲタなのにナルシッサスだよな、そんなに洗面所にこもっていたって大して変わりゃしないし、梨華ちゃんだって振り向いちゃくれないってのにさ。哀れだな。実に哀れだ。と陰口を言われたらどうしよう。やだなあ。しかし僕はいま流行りの無造作ヘヤーを完成させなければならない。妻夫木になるのだ。なぜなら梨華ちゃんとこんなに密に触れ合う機会はそうそうない。多くても1年に1回だ。まさに織姫と彦星。これをきっかけに梨華ちゃんといい仲になれるかもしれないと考えると、僕はここで、この質素なコテージの洗面所で我が人生の岐路に立っていると言えなくもない。ナルシッサスがなんだ。そんなの関係ねえ。僕はここで妻夫木になるのだ。しかし僕の髪型はどうにもなりゃしなかった。どういじくってもそこはかとないイケてなさが漂う。ちくしょう! やっぱりお金をケチって1000円床屋で髪を切ったのが間違いだった。若者の美容師さんに当たればよかったが、その時は運悪く団地に住んでそうなおばさんに当たったのだ。おばさんに「これでよろしいでしょうか?」と言われ、閉じていた目を開いてを見たとき、そこには中学2年生みたいな感じのおっさんがいた。僕はその出来に納得がいかず渋い気持ちになったが、心が優しいので「大丈夫です」とにっこり答えたのだった。そして掃除機のホースみたいなやつで僕の頭は隅々まで念入りに吸われた。ものすごい勢いで頭を吸われている様子をで見ながら、僕は無表情だった。吸われながらどんな顔をしたらいいのか、いつもわからない。笑顔で吸われるのもなんか違う。梨華ちゃんは、自分のファンが頭を掃除機のホースみたいなやつで豪快に吸われていることについてどう思うだろう。笑ってくれればいいんだけど。