ふっち君の日記。

石川梨華ちゃんにガチ恋しているおじさんの記録

私の好きな漫画、コジコジ――『コジコジ』と『ちびまる子ちゃん』との相関関係および『コジコジ』の面白さについて

 ずいぶんと長い題になってしまったが、とにかく、このレポート*1では、さくらももこ著の『コジコジ』について論じることにする。
 大学のレポートを書く際によく言われることは、「感想文ではなく“論文”を書け」ということだが、このレポートにおいては題材が題材(コジコジ)なだけに、あまりクソ真面目に硬く書いたら逆に非常に滑稽であり、また不自然であるように思われる。しかし、「それをやるのが大学だ」と言われたら、何とも反論のしようがない。
 よって僕は、いやここは私とするべきか。私は基本的、原則的には論文調に(「論ぜよ」とあるのだから当然論文なのだが)書いて行こうと思うが、先生が出された論題が「自分の好きな漫画について論ぜよ」というものである限り、感情論的なもの、感想文的なものが多少混ざってはくると思う。その点についてはご容赦いただければと思う。このように先生と対話(一方的だが)をしている時点で、既に論文とはかけ離れているような気もするが。
 これは余談ですが、漫画史のレポートの多くは先生の所へ来ているのではないでしょうか。論題の取り組み易さ故に。ご苦労様です。*2
 さて、前置きが長くなったが、では『コジコジ』の何についてこれから論じるかと言うと、それは以下の二つである。
 第一に、『コジコジ』の『ちびまる子ちゃん』との相関関係はあるのか、あるとすればそれはどのようなものか、そしてどのような結果をもたらしているか、ということ。
 第二には、コジコジが面白いのはなぜか。その原因は何か、どういった表現か、ということについて論じる。なお、これらについて論じる理由は、第一については、読んでいてふと気になったから。第二については、当然書くべきだろうと思ったからである。

 まず、第一の問題、『コジコジ』『ちびまる子』間の相関関係についてだが、これについては『コジコジ』1巻その1、その3において平明に説明されている。そこでさくらももこによって明かされた世界観は、衝撃的ですらある。さくら氏によれば、人間界、つまり我々の今生きている世界のほかに、「メルヘンの世界」と「クンチャン漫画界」とが存在するらしい。そして『コジコジ』の主人公である珍妙な生き物“コジコジ”は、前者の世界の住人であり、『ちびまる子ちゃん』の主人公である“まる子”は後者の世界の住人である。住人の例を挙げれば、前者の世界には、ミッキーマウススヌーピードラえもん等々がいる。後者の世界には、『のんきくん』、『フリテン君』、『サラリ君』、『コボちゃん』等々。
 さらに、さくら氏はこう描いている。「この国(メルヘンの国)の人はなあ、立派なメルヘンのキャラクターが人間界で活躍してくれるのを期待してるんだ」。推察するに、これは出稼ぎである。ミッキーマウス、まる子などは、我々の住む人間界に一攫千金をねらって来ているのである。
 以上のような、さくら氏が『コジコジ』において構築した世界観は、ある意味で実に現実を上手くパラフレーズしている。というか、もっと言えば、現実そのまま、真理ですらあるのかもしれない。「クンチャン漫画界」の『ちびまる子ちゃん』を例にとれば、“まる子”というキャラクターが漫画に描かれた時点で、そこには一つの世界(クンチャン漫画界の一部)が出来上がっているわけだ。それが本屋だとかテレビだとかに出れば、人間界で活躍していることになる。そしてそれに応じた収入は、著者のさくら氏に入り、それでさくら氏は生活することができ、漫画を描き続けることができる。
 つまり彼らキャラクター達は、別次元にいるようで実は同じ次元にいるのだ、ということを読者は暗に感じ取る。それによって読者は、より深く『コジコジ』の世界に入り込むことになるのである。
 よって、『コジコジ』『ちびまる子ちゃん』間の相関関係は確かに存在し、前述のような効果をもたらしていると言える。

 次に、第二の問題、『コジコジ』の面白さの理由について考察してみる。前々段落で述べたことも理由の一つとして挙げられるであろう。ここではその他の理由も探っていきたい。
 まず、物語の土台となる「メルヘンの国」の柔軟性、自由さといったものが考えられる。著者はおそらく、それまで描いていた『ちびまる子ちゃん』の世界の偏狭さから脱して、思うがままにのびのびと創作をしてみたかったのであろう。キャラ設定は、やかん君や天使や悪魔など、陳腐極まりないものである。しかし、あえてそれをやる、という実験的な感じを受ける。繰り返しになるが、それにしても陳腐な発想の世界観およびキャラクターである。小学生が初めて漫画を描くと、こんな世界観やキャラクターになるのではないか、とすら思う。しかしながら、こういった何でもありの世界観は、非常に陳腐であるという欠点を抱えてはいるが、自由に、何ものにも囚われず、どんな非常識も通用する、という長所も備えている。そしてさくら氏は、その絶妙かつ巧みな話術でもって、陳腐な世界観の欠点を全く感じさせない。逆に、その陳腐さ自体をギャグに転化させ、なおかつそのギャグは、まさに自由奔放に表現されているのである。
 要するに、『コジコジ』の面白さとは、さくら氏の元来備えている話術に他ならないのだが、その背景にある世界観の自由さが、さくら氏の話術の幅を広げているのである。

 以上、まとめると、『コジコジ』という作品は、我々の今生きている人間界をも取り入れた世界を構築することによって、『コジコジ』の世界を身近に感じさせ、読む者を引き込む。そして「メルヘンの国」という自由な表現の場における、まさに自由奔放な話術によって、さらに読者の心をつかんで離すことがない。『コジコジ』は、私の大好きな作品である。*3


*1:漫画史の授業のレポート。早稲田大学在学中に書きました。評価はAでした。

*2:漫画史の授業は、複数の教授によって行われたため、レポートの提出先の教授を選ぶことができました。あと、教授に向かって「ご苦労様」と言ってはいけません。「お疲れ様」と書くべきでした。

*3:部屋の片付けをしていたら、大学時代のレポートの下書きが出てきたので、ブログに載せてみました。