バスツアーの帰りのバスの中では延々と、梨華ちゃんのライブDVD(美勇伝など)が流されていた。「これ以上梨華ちゃん漬けにされたら、梨華ちゃんを好きになりすぎてしまってつらいからやめてほしい」と思ったけど、周りのみんなは「この頃の梨華ちゃんは仕上がってるなあ」とか言っていて楽しそうだったので、「もうやめてほしい」なんてことは口に出せなかった。「仕上がってる」と言うのならば、32歳に近づいてきている今の梨華ちゃんが、僕にとっては最も仕上がっています。
美勇伝のライブで躍動したり、しっとり歌ったりしている梨華ちゃんを見ながら、僕は思いました。外はもう暗くなっていました。「梨華ちゃんを応援しながら、全く恋をしてない状態を維持するのはやはり不可能に近い。それを成立できるのは、悟りを開いた者だけだ。こんなに可愛くて魅力的な女性と積極的に関わっていて、わずかな恋心をさえ抱かないということが、人間のような不完全な存在にどうして可能だろうか」と。そして、もうこれ以上、梨華ちゃんに恋をしないために目を閉じましたが、DVDで歌う梨華ちゃんの姿や、バスツアー中の姿がまぶたの裏に浮かび、無駄な抵抗でした。
終点の東京駅が近づいてくると、添乗員さん(女性)が、「家に帰るまでがバスツアーです!」という常套句を言いました。ひねくれ者の僕は、「ならば私はどこにも帰らない。意地でも帰らない。そして私のバスツアーは永遠となるのだ」と思いました(結局は帰った)。
さらに添乗員さんは言いました。「明日からは現実世界に帰ってがんばってください」と。僕は思いました。「どれだけ夢のような空間や時間でも、僕にとってはすべて紛れもない現実で、恐ろしいくらいリアルなものだ。だからこそ、この世界はとても楽しくて、とても苦しいものなんだ」と。僕は窓の外の夜景を眺める。もう東京だ、と思う。「この世界のどこかに梨華ちゃんは存在している。現実に。今日も明日も明後日も」とつぶやく。隣の席の阿久津さんは、かすかに寝息を立てている。