黒いスポーツカーの女


 午後3時ごろ、コンタクトレンズを受け取りに出かける。僕はチャリに乗っていたんだけど、帰り道、黒いスポーツカーにひかれた。ひかれたっていうか、左折内輪差に巻き込まれた。冗談みたいな話だけど、本当に。止まってくれるだろうと思って車の前を通ろうとしたら、左折してきて、巻き込まれた。ガガガガ! っていってチャリンコが車と接触した。スポーツカーに乗ってたおばさんは車を止めてすぐに出てきて、
「だいじょうぶですか!」と言った。
「僕はだいじょうぶです」
「自転車はだいじょうぶ?」
「だいじょうぶです」
「ほんとうに?」
「ほんとうです。それより車はだいじょうぶですか」
「車なんかいいのよ。自転車のが弱いんだから」
「僕が悪かったんです。ごめんなさい」
「なに言ってるの。私が悪いのよ。連絡先教えておくから、なにか問題あったら電話して」
「すいません、全然だいじょうぶですから」
 いっそ、もっと豪快に巻き込まれたかった。なんでかすり傷ひとつ負ってないのか僕は。空気嫁よ俺。死ぬところだろうそこは。兄嫁にたいして、「左折内輪差に巻き込まれて氏ね」って言っていた自分がまさに左折内輪差に巻き込まれて死ぬなんてじつに死ぬほど愉快じゃないか。滑稽ここに極まれりですよ。
 畜生、本当にくやしいな、なんで死ななかったんだろう。この時に死んでいればもう梨華ちゃんのことで涙を流して心臓をミシミシさせることもなくなって、留年のことで怯えることもなくなって、将来のことで悩み苦しむこともなくなったのに。これ以上生きていたって何もいいことなんてないんだ。左折内輪差で「ぐきゅう」とか言って死ねばよかったんだ僕は。