前日にアサヒ黒生の500ml缶を飲んだあと、胃の痛みが発生した。「ひと晩眠れば治るだろう」と思っていたけれど、朝起きても胃が定期的にキューっと痛んだ。原因は昨晩のアサヒ黒生かもしれなかったし、梨華ちゃんに久々に会うことによる過度の緊張かもしれなかった。とりあえず台所にあった太田胃散を飲み、「僕は心臓や腎臓が悪いけれど、胃だけは丈夫だったのになあ。もはや胃まで弱ってきているのか」と落ち込む。ベッドに横になりスマホで「胃痛」を検索してみると、胃がんの可能性を示唆されたので恐怖を感じた。
僕はもう43歳であり、そういう重篤な病気になっても全くおかしくない年齢である。以前はこの日記でもよく「死にたい」と書いていたが、いざ死が目の前に迫ってくると「死にたくない!」と強く思う。以前、血圧が210まで上がり、不整脈が1日に1,000回くらい出ていた時は、「死にたい」なんて少しも思わなかった。「死にたくない! 健康になりたい!」とばかり思っていた。もし僕が早死にしたら、梨華ちゃんはひどく責任を感じそうである。それもあって最近は「できるだけ健康に長生きしたい」と思って適量飲酒を心がけ、毎日30分ウォーキングをしている。
胃痛はあるものの熱や咳は全くなかったので、欠席はしないことにした。今回のバースデーイベントは渋谷DAIAというライブハウスで催される。開場は午後5時20分。僕は余裕をもって午後3時頃に家を出た。そしてお金の節約のために大宮駅まで約30分かけて歩く。埼京線の快速に乗り、約40分後に渋谷駅につく。
まだ定期的な胃痛を感じていたため、改札を出たところで太田胃散を飲む。「ありがとう、いい薬です」という文言が思い浮かんだが、まだ効いてなかったので感謝の気持ちは湧かなかったし、いい薬だとも思わなかった。開場までには1時間くらいあったため、渋谷DAIAに向かってゆっくりと歩を進めていく。何度も行ったことのある会場だから迷う可能性はない。イベント中に小便をしたくならないように、途中にあったドン・キホーテで小便をする。やたら外国人の多いドン・キホーテである。僕はそこでしばらく暖をとり(その日はかなり冷え込んでいた)、何も買わずに店を出る。
渋谷DAIAの近くの交差点にさしかかったところで、時刻は午後5時ちょうどあたり。開場まであと20分。交差点に生えている大きな木を囲むベンチに腰をおろし、自動車や歩行者をぼんやりと眺める。その20分で夕空は急激に暗さを増し、僕が渋谷DAIAへの階段を降りる頃にはほとんど夜だった。
僕はまず梨華ちゃんのグッズを購入した。買ったのはアクリルスタンドキーホルダーA(1,600円)と、2L生写真4枚組(1,200円)の2点で、合計で税込2,800円だった。PayPayで支払い、13ポイントを獲得した。僕はグッズをショルダーバッグの中にしまい、入場するための3点セットを準備する。入金確認メールを印刷した紙、M-line club期限証、マイナンバーカードの3点を指さし確認し、入場列に並ぶ。並んでいるときにドリンク代600円が必要なことに気付き、あわてて財布から500円玉と100円玉を取り出す。「入場に必要なものが多すぎる」と思う。僕は手際よく3点セットを提示して、600円を茶髪のお兄さんに支払った。「ドリンクを選んでください」と言われ、胃に良さそうな飲み物として烏龍茶を選んだが、500mlのペットボトル1本で600円は高すぎると思った。
渋谷DAIAの中に入ると、パイプ椅子がわりとぎっしり置かれており、人びとの密度が高かった。多くの人がマスクをしていた。半分ほどの人が濃いピンク色のTシャツを着ている。僕は梨華ちゃんのオタクTシャツは着てこなかった。そういう精神的余裕がなかったからだ。いつもの格好で梨華ちゃんのいる場所に顔を出すだけで精一杯だったのである。会場にはまるで同窓会のような雰囲気が漂っていて、いくつかのかたまりがあり、オタクたちが楽しそうに話をしている。「僕も誰かに話しかけられるかもしれない」と思ったが、誰にも話しかけられることなく自分の席にたどり着いた。4列目の8番。ほぼ真ん中で、ステージからかなり近い。「僕の席から梨華ちゃんの顔はよく見えるだろうし、梨華ちゃんから僕の顔もよく見えるだろう」と思った。そのことは嬉しくもあり、恐ろしくもあった。
パイプ椅子の上には梨華ちゃんのミニ写真が置かれていた。スマホケースに入れるようなサイズの写真だ。僕はスマホケースを使用していないので使い所が分からなかったが、その写真の梨華ちゃんはまるでアイドルみたいに可愛くてキラキラしていた。というかアイドルそのものだった。僕はそのミニ写真を丁寧に拾い上げ、財布のなかにゆっくりとしまった。白いパイプ椅子に座って前を見ると綺麗なステージがあり、その中央に梨華ちゃんがいた。正確に言えば、梨華ちゃんの等身大パネルが置いてあった。僕はそのパネルを見ただけで胸がドキドキして、連れ去ってしまいたいと思ったが、連れ去らなかったし、写真を撮ることもしなかった。「せめて写真くらいは撮りたい、SNS映えもするだろうし」と思ったけれど、撮影してもいいのかどうか分からなかったから。僕はせめて脳裡に焼き付けようと思い、梨華ちゃんのパネルをじっと見つめた。
客席にはヒッシー会長の姿があり、笑顔を見せていた。彼は梨華ちゃんのトップオタ的な存在であり、梨華ちゃんにも他のオタクたちにも敬愛されている。見たところかなりご高齢なので、バースデーイベントのたびに「ヒッシー会長はお元気だろうか…?」と思い、健在な姿を見てホッと安心している。今回も彼は元気そうで安心したけれど、よく考えたら僕は、もはやヒッシー会長の心配をしている場合ではない。僕も今や43歳であり、心臓、腎臓、胃腸、腰、目、脳、歯などに問題を抱えているのだ。生老病死の苦しみを切実に感じている。近いうちに仏教徒になるかもしれない。
そして、ハワイちゃんは相変わらずとても元気である。真冬だというのに、真夏のヒマワリのような笑顔を浮かべて歩き回っている。梨華ちゃんの現場をいちばん楽しんでいるのは彼女かもしれない。彼女みたいなハッピーなオタクばかりだったら梨華ちゃんの心労も少ないだろう。僕のような深い闇に落ち込みやすいガチ恋オタクは、梨華ちゃんの大きな負担になっている可能性が高い。
開演時間の午後5時50分が迫ってくると、梨華ちゃんの等身大パネルはスタッフによって片付けられた。客席のほとんどが埋まり、トイレに立つのが難しい状況になった。僕は20年くらい前、梨華ちゃんと保田圭ちゃんのディナーショーで、小便を漏らしそうになったことを思い出した。ショーの最中にトイレに行くことは禁止されていたのだが、ビールを飲みすぎたために小便を我慢できなくなったのである。ここで小便を漏らすくらいなら禁を破ったほうがマシだと判断した僕は、梨華ちゃんの歌唱が終わると同時にトイレに立った。そしてトイレで小便を盛大に放出しながら、梨華ちゃんのMCを聴いていた。
そのときはトイレに行きやすい席だからよかったが、今回はかなり行きにくい席である。隣の人に「すみません」と声をかける必要があるし、梨華ちゃんに「どうしたの? お手洗い?」と訊かれる可能性がある。さっきドン・キホーテで小便をしたばかりだけど、念の為にもう一度行っておこうかな、どうしようかな、と迷っているうちに『理解して!>女の子』のBGMが流れ出し、梨華ちゃんがステージに登場した。梨華ちゃんは細い身体に白いワンピースを着ており、前髪を下ろしていた。梨華ちゃんが前髪を下ろしている姿を生で見るのはずいぶん久しぶりだった。
梨華ちゃんはまるでアイドルみたいに可愛かった。というかアイドルそのものだった。39歳とは思えなかったし、39歳にして今まででいちばん可愛かった。僕の胸は高鳴り、ガチ恋が加速していくのを感じた。僕の席は4列目であり、梨華ちゃんはかなり近くにいたので、細部までよく見ることができた。僕の視線は半ば自動的に、梨華ちゃんの左手薬指に向かう。そこに指輪はなかった。やっぱり梨華ちゃんはイベントのときに結婚指輪はしないんだな、と思った。また、梨華ちゃんはイベント中、配偶者の話はできるだけしないように努めているようだった。オタクを苦しめないためだろう。僕はその優しさがとても嬉しかった。梨華ちゃんはインスタグラムにおいては普通に結婚指輪をしており、その写真を見たときはとても苦しい気持ちになった。それ以来僕は梨華ちゃんのインスタを見ることができていない。
今回のイベントでは声出しが可能なので、みんな口々に「梨華ちゃーん!」「かわいい!」などと叫んでいた。僕は声出し可能なのにもかかわらず、病的に内気な人間なので、コロナ禍の時と変わらず心の中で「梨華ちゃーん!」「好きだよ!」などと叫んだ。梨華ちゃんがトークを始めると、その場にはとてもゆるやかな空気が流れた。梨華ちゃんに会うときまでにどれほど深くガチ恋で病んでいても、実際に梨華ちゃんに会うと心のこわばりが消えていく。梨華ちゃんのところから流れてくる、ゆるやかで優しく、チャーミングな空気に触れていると、「どうして僕はさっきまであんなに病んでいたのだろう?」という気持ちになる。いつもそうなのだ。そのときの僕の心の中には、梨華ちゃんに対する死にたいような「好き」ではなく、とても穏やかな「好き」があった。それは梨華ちゃんのことを想いながら手首を切るときのような「好き」ではなく、春の太陽の下の公園で、梨華ちゃんと2人きりでピクニックをしているときに感じるような「好き」だった。進行役として上々軍団の鈴木啓太氏がとなりに立っていて、梨華ちゃんと見つめ合い楽しそうに話をしていたが、啓太氏に嫉妬したり憎んだりすることもなかった。僕は温かい微笑みを浮かべながら、ユーモアあふれる彼を見ていた。
梨華ちゃんは「開演前に楽屋でエゴサーチをしていた」と言う。どうやらそれはX(旧Twitter)でおこなっているようだった。梨華ちゃんは公式には無いが、エゴサ用にXのアカウントを持っているのかもしれない。「ということは、間違いなく梨華ちゃんは僕のポストを見ている」と思った。なぜならば、とくにイベントもないのに梨華ちゃんのことを頻繁につぶやいているアカウントは僕のほかにあまりないからだ。もし梨華ちゃんが見ているのなら、梨華ちゃんを笑顔にさせたい。そう思った。これからは梨華ちゃんがクスッと笑ってしまうようなポストばかり書くようにしたい。以前よく書いていた、梨華ちゃんのことが好き過ぎて絶望している感じのポストは絶対にしてはいけない。
そして梨華ちゃんは昔、2ちゃんねるを見ていたらしい。矢口真里さんが「悪口サイト」と言って唾棄していた2ちゃんねるの狼板である。そこに書いてある酷い悪口を見ても、梨華ちゃんはほとんど動じなかったらしい。「精神の強い女の子だったんだなあ。僕だったら精神が崩壊していたかもしれないぞ」と思う。梨華ちゃんは人気もあったけれどその分アンチも多く、酷い悪口が多数書かれていたから。しかし僕は、狼板を毎日見てはいたけれど、梨華ちゃんの悪口を書き込んだことは一度もない。その代わり、リカニー(梨華ちゃんでオナニーすること)については結構書き込んでいた。梨華ちゃんの強力な性的魅力に魂を支配された者たちが集うスレッドがかつて狼板にはあったのだ(今はさすがにないと思う)。記憶はおぼろげだが、それは「病棟スレ」と呼ばれていたような気がする。そのスレには、神棚に拝んでから厳かにリカニーをおこなう者など、実にさまざまな患者がいた。僕はそこで他人のリカニーについて読み、自分のリカニーについて報告していた。なんならこの『ふっち君の日記。』でも毎日のようにリカニーの詳細を書き記していた。もしかしたら梨華ちゃんは、悪口を書かれるよりも性的なことを書かれるほうが嫌だったかもしれない。僕は当時「そこには愛があるのだからいいのだ」と思っていたけれど、愛があるとか無いとか関係なく、本人は不快だったかもしれない。もしそうだったら謝罪したい。
梨華ちゃんは2人の子を産み、かなりぽっちゃりしていた時期があった。僕はそんな梨華ちゃんも可愛らしく感じていたが、ネットニュースで梨華ちゃんの写真を見た人間の一部が、コメント欄に心ない言葉を書き込んだらしい。その中でも「肉団子」という言葉に梨華ちゃんは深く傷ついたようだ。それがトラウマになった梨華ちゃんは、「痩せるまでみんなの前に出るのはやめよう」と心に決め、ダイエットに励み、数年後に非常にシュッとした姿でみんなの前に姿を現した。もう梨華ちゃんのことを誹謗中傷する者はいなかっただろう。それにしても「肉団子」は酷すぎる。梨華ちゃんがその体型になったのは2人の幼子の育児と家事に忙殺されていたためなのに、その梨華ちゃんに向かって「肉団子」はあまりにも酷すぎる。「人の心とかないんか?」と思わずにはいられない。誹謗中傷と言えば、僕も2ちゃんねるで「青ひげ下膨れおじさん」と言われたことがある。その言葉はおそらく一生忘れないだろう。自分は顔出しをせず、名前も隠して他人の容姿を誹謗するなんて、人間としてあまりにも卑怯すぎると思う。でも僕は最近、人間にはあまり期待していない。心が暗黒に染まっていて光の入る余地がまったくない人間、というのは確かに存在している。そういう人間には何を言っても無駄なのだ。すべてがその心の暗黒の中に吸い込まれて消えてしまうのだ。
梨華ちゃんは、「こうしてファンのみんなに会うことも美しさを磨くモチベーションになっている」という趣旨のことを言っていた。ダイエットに励み、最近ではシミ取りもしているらしい。それに関しては僕も似たようなものだ。シミ取りまではしていないものの、梨華ちゃんのイベントがある日に向けて食事制限をしたり散髪に行ったりしている。梨華ちゃんと過ごす時間を心おきなく楽しむために、今回は久々に歯医者にも行った。バースデーイベントの3日前に一睡もできないほどの歯痛に襲われたのである。僕はかつて経験の浅い歯科医に地獄のような苦しみを味わわされたことがトラウマになって、20年くらい歯医者から逃げつづけていた。梨華ちゃんのイベントがなければ、歯医者に行くという決断はしなかったかもしれない。梨華ちゃんのおかげで歯医者に行く勇気を持つことができ、とても感謝している。
勇気と言えば、梨華ちゃんは「最近大事にしているのは、『ポジティブ』ではなく『勇気』。愛と勇気があれば何とかなる」と言っていた。それは本当にその通りだな、と思った。僕という人間に欠けている重要なものの一つは勇気である。20年ぶりに歯医者に行ったところ、虫歯が重度すぎて麻酔があまり効かず、歯の神経に直接麻酔をぶち込まれた。それはこの世のものとは思えないほどの激痛だった。再びその痛みを味わうかもしれないと思うと、次回の歯医者から逃げ出したい気持ちになる。しかし僕は決して逃げ出さないつもりだ。梨華ちゃんの言葉を思い出し、「勇気!」と何度も声に出し、敢然と歯医者の治療に立ち向かうつもりだ。
梨華ちゃんによる、心がぽかぽかするトークを聴きながら、僕はふと「今ここで頭がおかしくなり、椅子から立ち上がり、意味不明な奇声を上げてしまったらどうしよう」という不安にとらわれた。おそらく屈強な係の者たちに取り押さえられ、会場の外に連れ出され、ファンクラブ会員の資格を剥奪されるだろう。ハロプロ系のイベントすべての出入禁止を言い渡されるかもしれない。梨華ちゃんとは二度と会えなくなるかもしれない。そんなことにはなりたくない。絶対に今ここで奇声を発したりしてはいけない。でもそう強く思えば思うほど、逆に不安は大きくなっていく。その不安を気にかければかけるほど、さらに不安が増大することに気づいた僕は、梨華ちゃんの姿と声にだけ集中するように心がけた。そうしたら次第に不安は薄らいでいった。
トークが一段落するとプレゼントコーナーが始まった。梨華ちゃんが箱からくじを引き、当選者に梨華ちゃんのサイン入り生写真やトートバッグなどが贈られるとのことだったが、僕はくじに当たらないように願った。なんとなれば、他のみなさんみたいに上手くリアクションをする自信がないからだ。僕は笑みを浮かべることすらできず、感情の読み取れないこわばった表情でただ会釈をするだけだろう。梨華ちゃんは反応に困ってしまうかもしれない。梨華ちゃんを困らせたくない。会場の空気をおかしなものにしたくない。そんなことを考えているうちに梨華ちゃんによる抽選は進んでいき、最後にトートバッグの当選者が決まった。僕ではなかったのでホッと胸をなで下ろした。当選した女性は「まさか私が!? 信じられない! 死ぬほど嬉しい!」というような心情を窺わせるリアクションをしており、「100点! あんた100点満点のリアクションだよ!」と思った。僕にそういうリアクションは絶対にできない。ちなみに僕は、梨華ちゃんのバースデーイベントには何回も参加しているけれど、プレゼントが当たったことはまだ一度もない。確率的に言ってそろそろ当たりそうだから、来年のプレゼントコーナーに今からおびえている。僕にとって一番のプレゼントは、梨華ちゃんに会えることである。
そしていよいよ梨華ちゃんの歌唱の時間が始まった。最初に歌われたのは、“カントリー娘。に石川梨華”の『初めてのハッピーバースディ!』だった。梨華ちゃんのバースデーイベントではほぼ毎回歌われる曲である。途中でオタ芸のPPPH(パン! パパン! ヒュー!)が入るところがあり、オタクはみんな全力で「りーかちゃん! オイ!」と叫んでいた。長いコロナ禍があったため、梨華ちゃんコールを聴いたのはずいぶん久しぶりで、懐かしい気持ちになった。病的に内気である僕は、小声で「りーかちゃん、オイ」とつぶやき、慣れていないためにみんなより1回多く言いそうになった。次にモーニング娘。の『ザ☆ピ〜ス!』が歌われ、梨華ちゃんの名前をコールする箇所がたくさんあった。僕は梨華ちゃんの名前を呼べば呼ぶほど梨華ちゃんへの恋心が強化され、苦しみが大きくなることは分かっていたけど、「もうどうにでもな〜れ!」という気持ちで「梨華ちゃーん!」と小声で叫んだ。
梨華ちゃんは25周年のハロコンで、オタクに向かって「あなただけの石川梨華です」と言ったらしいけれど、今回のバースデーイベントの夜の部でその台詞は聴けなかった。少し残念である。既婚者で2人の子供がいるのに、「あなただけの石川梨華です」とオタクに告げる梨華ちゃんは、哲学的な領域に足を踏み入れていると思う。アイドルとは何か、オタクとは何か、人間とは何かを笑顔で問いかけているように感じる。また、梨華ちゃんはオタクに対して「みなさんも幸せになってくださいね」みたいな突き放したことを言わず、「お互いがんばりましょうね」と言っていた。僕はそれを聞いて、「進む道は違えど、共に生きましょう」と思った。梨華ちゃんが「みなさんも幸せになってくださいね」と言わないのは、自分がオタクを幸せにする自信があるからかもしれない。もしかしたら、自分にはオタクを幸せにする義務があると思っているのかもしれない。
歌を唄い終えた梨華ちゃんは、笑顔で手を振りながらゆっくりと舞台袖に消えて行く。そのあいだ僕は梨華ちゃんの目を見つめ、笑顔で手を振っていた(残念ながら目は合わなかった)。今回のイベントでは梨華ちゃんによるお見送りがあるらしく、緊張が高まってくる。ショルダーバッグを斜めがけし、忘れものがないか確認して席を立つ。出口のほうに歩いていくと、梨華ちゃんの姿が目に入る。笑顔でオタクに手を振っている。オタクたちは楽しげに「誕生日おめでとう!」などの声をかけている。僕は梨華ちゃんの前を通りすぎる短い時間で会話を成立させる自信がなかったので、「またね」とだけ言うつもりだった。僕の目の前を歩く女性が、梨華ちゃんのところでわりと粘っていたため、僕に割り当てられた時間は少なくなった。僕と梨華ちゃんだけの時間は2秒ほどだった。僕はその2秒間に梨華ちゃんに「またね」と言い、手を振った。梨華ちゃんは僕の目を2秒だけ見つめて手を振り、何かを言った。それは「ありがとう」だったような気がするが、よく覚えていない。間近で見た梨華ちゃんはとても可愛かった。今まで見た梨華ちゃんの中でいちばん可愛かった。胸が締め付けられるような感覚があり、「僕はやっぱり梨華ちゃんのことが大好きだな」と思った。でも梨華ちゃんは既婚者で子供も2人いるから、その大好きな気持ちには抑制をかけなければならなかった。そうしなければ、僕も梨華ちゃんも不幸になってしまうのだ。
僕は梨華ちゃんオタの友だちがいないので、渋谷DAIAを出ると一人でまっすぐ渋谷駅に向かい、大宮行きの電車に乗った。電車に乗っているあいだ僕は、梨華ちゃんを大好きな気持ちにブレーキをかけながら、バースデーイベントの記憶を反芻していた。梨華ちゃんと2人きりの時間が2秒だったことから、梨華ちゃんと初めて握手したときのことが連想された。美勇伝の『紫陽花アイ愛物語』の発売に際して催された握手会に、僕は早大モーニング娘。研究会の人たちと共に参加した。後藤真希ちゃんオタの服部君も会場に来て、「ふっちさんが梨華ちゃんと長く話せるように俺が上手くやりますよ」と言っていた。しかし服部君は、梨華ちゃんと握手をしながら妙に長く話していたため、すぐ後ろにいた僕は梨華ちゃんと2秒くらいしか話せなかった。僕は梨華ちゃんに「がんばってね」と言ったが、梨華ちゃんは僕をほとんど見ることなく次のオタクに目を向け、僕は係の者によって身体を移動させられた。僕は当時も今も服部君を恨んではいないけれど、その握手会のあとに居酒屋のトイレで涙を流したことはよく覚えている。
そして「今日も梨華ちゃんに『結婚おめでとう』と言えなかったな」と思った。僕は梨華ちゃんのブログに「結婚おめでとう!」とコメントしてはいるものの、面と向かって「結婚おめでとう」と告げたことはまだない。今日なら言えるような気がしていたけれど、時間が2秒しかなかったこともあり、「またの機会にしよう」と思ったわけである。「もしいつか梨華ちゃんと10秒くらい話をする機会があったら、その時こそ言いたいなあ。『遅くなっちゃったけど、梨華ちゃん結婚おめでとう』って」。僕は埼京線の電車から見える夜景を眺めながらそう思った。
大宮駅に着くと、僕は東口のすずらん通りにある立ち飲み日高に入った。今日購入した梨華ちゃんの2L生写真とアクリルスタンドキーホルダーをカウンターに置き、それを眺めながら生ビールを飲んだ。死ぬほど美味しかった。飲みながら何度か不整脈を感じ、不安な気持ちになったけれど、今日は飲みたい気分だった。2杯目はハイボールを飲んだ。梨華ちゃんが「最近はハイボールをよく飲んでいる」と言っていたからだ。少しでも梨華ちゃんに近づきたかった。僕もかつては「ハイボールダイエット」と称してハイボールを飲みまくっていた。「ウイスキーは糖質0だから太らない。むしろ痩せる」と思っていたが、痩せなかったしむしろ太った。「梨華ちゃんもハイボールダイエットというわけか。酒飲みはみんな同じ道を通るんだな」と思い、顔が少しほころんだ。
酒を2杯飲み、もつ煮込みを1皿だけ食べて立ち飲み日高を出る。今日梨華ちゃんに会ってきたことを誰かに話したくて、行きつけのメイドカフェに行くことにする。「ゆめちゃんか、はむちゃんがいるといいなあ」と思いながらメイドカフェHoneyHoney大宮店に入店するも、2人ともいなかった。はむちゃんは梨華ちゃんに似ていて可愛いし、ゆめちゃんは梨華ちゃんの熱愛報道が出たときに泣きそうになっていた。熱愛報道で深く落ち込んでいる僕を見たゆめちゃんは、「それでもまだ梨華ちゃんのこと好きなの?」と言い、僕がうなずくと、「やだ、泣いちゃう…」と言って泣きそうになっていた。普通のものを頼んだはずだけれど、その日に出てきたクリームソーダにはアイスがひとつ多く乗っていた。
土曜なのに店内はわりとすいていて、僕は端っこの席に座った。初めて見る可愛らしいメイドさんに「今日は何してたんですか?」と訊かれ、「アイドルのイベントに行ってきたんだ」と答えた。梨華ちゃんの名前を出さなかったのは、今の若い子たちの殆どは梨華ちゃんのことを知らないからである。10年くらい前は、梨華ちゃんの名前を知らないメイドさんは1人もいなかったのだが。かかりつけの医師は深刻な顔をして「お酒は1日2杯までにしてくださいね」と言っていたけれど、今日は酔いたかったので3杯目の酒を注文した。梨華ちゃんの2L生写真を見つめながら、ちびちびとハイボールを飲んだ。
大宮駅から30分くらい夜道を歩いて家に帰ると、何となく銀杏BOYZが聴きたくなり、Spotifyで『NO FUTURE NO CRY』を聴いた。この曲を聴くのはずいぶん久しぶりのことだった。峯田和伸の切実な歌声が心に沁みわたっていくのを感じた。僕は、たとえ未来がなくても泣かないことにし、かすかな胃の痛みを感じながらベッドに横になって目を閉じた。