渋谷ハロショに行く

 夢の中で雲の上を歩いた。雲の上は、当然ながらとてもよく晴れていた。目を覚ますと雲のずっと下にいた。太陽が見えない。空はどんよりしている。楽しいことも有意義なことも起らないように思えて、死にたくなった。「じゃあ死ねばいいだろう」と、電話をかけてきた友人が言うから、僕は自殺について本気出して考えてみたけど、死ぬ時の、細胞が次々と死んでいく様子を想像すると、それが何とも恐ろしく感ぜられ、死にたくなくなった。友人にそのことを告げると、「どうせ死ねないんだから死にたいとか言うな。メイワクなんだよ。二度と電話してくるなカス野郎」と怒られた。
 「ごめんなさい許してください」って謝ったけど許してくれなかった。電話を切られたあと、もう一度かけたらつながらなかった。着信拒否に設定されたようだった。「ちくしょう!」
 リカニーをしようと思った。梨華ちゃんの写真をトイレに持ち込んだ。《二の腕のぷにぷにしてる感じ、いいなあ、いいなあ》と思った。終わってみると悔しさは無くなっていたけど悲しみが盛り上がってきた。マクラに顔を押し付けて、「うおおおお梨華ちゃあああん!」と泣き叫んで悲しみを外に排出した。気持ちの昂りを鎮めることに成功した僕は、しゅんとなった。しゅんとしていることに飽きてくると、次の行動について考えた。
 《そうだ、ハロショに行こうかな。しばらく行ってないからなあ。3ヵ月くらい行ってないような気がする。行きたいなあ。梨華ちゃんの写真が欲しいなあ。よし行こう》
 空はどんより雨模様だったけど、"外に出るちょうどその時に雨が降っていなければ予報がどうであろうと傘は持たない"という主義なので、傘は持たずに出た。

 埼京線のホームで電車を待っているときに、飛び込みたくなった。《死にたい》と思った。《だいたいハロショなんか行ったところで何があるんだよ。キモい客がいて、不遜な店員がいるだけじゃないか。あとは写真があるけど、結局は写真じゃないか。本人はいないんだ。馬鹿げてる。いくら写真を集めたところで、願い事がかなうわけじゃないぞ。ドラゴンボールとは違うんだ。ズリネタになるくらいのものだ。それだけだ。よし死のう。「死ぬ時くらい迷惑をかけずに死ねよな」って友達は言ったけど、ふざけんなよ。死ぬときくらい、多大な迷惑をかけてやるんだ。ざまあみろよお前ら。いつも我関せずみたいな顔しやがって。気にくわねえんだよ。気ちがいがいたら距離を置くんだろ? 何が君子危うきに近寄らずだよ。そんなの君子じゃねえよ。自分が気ちがいだったらどうするんだよ。そんなことされたくないだろうが。気ちがいはしばしば電車内にいるけど、誰一人として優しい目を向けるやつはいない。みんな絶対近寄ろうとしない。どいつもこいつも、ろくでもない奴らばかりじゃないか。ふだんは道徳がどうとか、大臣はちゃんとしろとか偉そうなこと言ってるくせに、一皮剥いたらこれだ。偽善者どもめ。お前は仕事に遅れて上司に叱られろ。デートに遅れて恋人に殴られろ。授業に遅刻して大事な単位を落として内定をふいにしろ。なんだよ、憎めばいいだろうが。「電車に飛び込んで死ぬなんて、最低の奴だな、死ねばいいのに、ああもう死んでるか」みたいなことを笑いながら言えよ。ブログに愚痴を書けよ。なんだよ、もっと言えよ、気持ちいいんだから。僕はMなんだよ。憎まれればれるほど気持ちがいいんですよ。糞とか馬鹿とかアホとか変態とかクズとかカスとか言ってくれよ! 2ちゃんで実名を晒して罵倒してくれよ。かまわねえよ。嬉しいんだよ。罵詈雑言どんどんやれよ。いっちゃいそうだよ。もっとやってくれよ。もっとだよ。そんなもんかよ。もっと汚くなれんだろお前ら? もっと汚いんだろ、真っ黒なんだろうがよ、その腹の中はよお、見せてみろよ、恥ずかしいのかよ、恥ずかしがることなんかないんだぜ、最初からバレバレなんだからさ、気付いてないのはお前だけだぞ? そう、いいね、その感じ、気持ちいいよ。憎んでくれてありがとう。僕はそんなあなたのことが大好きなんだ。皮肉でも冗談でもなくね。愛してるよ》
 そして僕は電車に乗り込んだ。
 渋谷で降りた。
 目の前をカップルが歩いている。男が女の尻に手を添えている。
 《そんなにお尻が好きか。しかしその女の尻、たいした尻じゃねえぞ。そうか、女の尻がしょぼくて恥ずかしいから隠しているんだな。なるほどね。でもお前は頭が悪いよ。そんなことしたら逆に目立つじゃないか。お前の後ろを歩く人間は、みんな女の尻を見てしまうよ。精液にまみれたその汚いケツをな!》
 ハチ公前の広場では、大きな騒ぎが起きていた。ミッキーマウスがいる。アホみたいな顔をした男がミッキーを殴りつけている。誰もそれを止めようとしない。にやにや眺めている。もっとやれ!という人もいる。男はミッキーを殴り倒すと、ミッキーのおなかの上に座って、「お前がいるから、お前がいるから!」と叫びながらパンチを次々と繰り出した。僕もだんだん「もっとやれ!」という気持ちになってきて、「もっとやれ!」と叫んだ。ミッキーは抵抗することなく黙々とぶん殴られている。そこにミニーマウスが現れ、「私のために争わないで」と言って二人の間に割って入った。すると薄ら寒い空気が流れ出して、「なんだよ、つまんねーな」みたいな声が周りから聞こえきた。僕も興味を失ったのでその場を去った。
 スクランブル交差点をわたってハロショに入る。店員と目が合ったが、それにも関わらず僕を無視したので、店員をぶんなぐってやった。
 「お前がいるから、お前がいるから!」
 でも実際には殴らずに、屈辱に耐えながら壁に歩み寄った。壁には写真がたくさんあって感動した。《ここはまるで夢の国だ。この感動は今日で何回目だろうか。101回目くらいだろうか》と思い、僕は101回目くらいのプロポーズを、梨華ちゃんにした。店員の目も客の目も気にしないで「結婚してください!」と言って、ねるとんよろしく手をまっすぐ差し出したら、ドキャっという音がして指の先がものすごく痛くなった。爪が割れている。血液が一筋の流れになって中指を下っていく。《ああ僕にも赤い血が流れているんだなあ。緑でもなく青でもなく灰色でもない、真っ赤な液体が》。「ねえ見て見て、僕の血って赤いんだよ」ってそばにいた客に話しかけたら、逃げられてしまった。「ねえねえ待って、僕の血を見て! 赤いよ!」って叫びながら追いかけたら、必死で逃げるのでたいそう面白く思い、どんどん追いかけた。そんなことを執拗にやっていたら、お客も店員も逃げ出してしまった。店には僕だけしかいなくなった。《僕はついにハロショの王様になった。権威というものを獲得したのだ》と思い、あらためて梨華ちゃんにプロポーズをした。僕の后になってください! ドキャッ! 鮮血が飛び散り、梨華ちゃんの写真は真っ赤に染まった。指の先からは赤すぎる血が滝のように流れ、床には王様の部屋のような真紅の絨毯が敷かれていく。僕はバージンロードを作るもののごとく歩き、カウンターの上に手をおいて、「あの、すごい、血が出るんですけど。包帯とかありますか?」と言った。しかし《そうだ、ここにはもう誰もいないのだ》と思い、カウンターの奥の、写真の収納庫に目を留める。僕は誘われるようにしてカウンターを乗り越えその部屋に入る。血をだらだらと流しながら写真収納部屋を眺めまわす。たくさんの抽斗があり、色んな名前があった。石川梨華というプレートを発見し、その抽斗を引いた。そこには梨華ちゃんの写真が大量にあり、しかも持っていない写真ばかりで、僕はほとんど発狂した。それを手提げカバンの中にどんどん落としていった。写真は血まみれになったが、そんなものは洗えばいいと思った。石川関係のグッズをすべてカバンの中に納めると、非常にいい気分になった。すると急に性的な興奮が持ち上がってきて、リカニーを始めた。カバンの中から性的な写真を10枚ほど選び出し、それらを5秒ずつくらい見つめながら
 【A】しごいて、あっあっあっいく、いくっ
 【B】しごいている途中にふと冷静になった僕は

 【A】
 しごいて、あっあっあっいく、いくっていうところで何者かの声が聞こえて振り向くと、警官の服装をした人間がいた。そいつは僕に人さし指を向けて「何だ君は!」と叫んだ。僕はそれに答えて「なんだチミはってか? ……そうです、わたしが変なオジサンです!」と言ったのだが相手は聞く耳をもたないで僕に襲いかかってきた。ちんこ丸出しの僕に、敵意丸出しの警官が絡みつく。僕はなんだか興奮してしまって、「ああ、もっと、もっとはげしく、あっあっいい、梨華ちゃん、いっちゃう、ああ」と喘いで射精した。警官の服に精液がついたことは申し訳ないと思ったので謝ったのだが「謝ってすむなら警察はいらない!」と一喝され、僕は手錠をかけられた。「手錠プレイですか? 嫌いじゃないかも」と言ったら警官は「そうそう、手錠プレイだよ、楽しいよ、だからついておいで」と猫なで声で言った。

 【B】
 しごいている途中にふと冷静になった僕はプッチミュージアムの存在を思い出した。
 「そうだ、どうせならもっと気持ちいいことをしよう。僕は王様なんだ。何でいつものように写真でリカニーしなきゃいけないんだ。ミュージアムがあるじゃないか」
 僕は王様だし、タダでそのスペースに入ることができた。誰も止める者はいない。店員も帰ってこない。客もこない。
 「こんなに自由でいいのだろうか? いや、いいんだ。だって僕は王様なんだから」
 まず血をなんとかしようと思ってシャツをぬぎ、全裸になった。
 「王様だからいいんだ、何したって。なんなら法律を作ってやる。全裸を笑うものは死刑だ。誰にも言わせないぞ、裸の王様だなんて」
 脱いだTシャツを指に巻きつける。僕と衣装を隔てるガラス窓に向かってレジを投げつける。割れて穴があいたところに手を差し込みカギを回す。それから窓を開けて、梨華ちゃんが着ていたという天使の衣装をマネキンごと取り出す。僕の血がつかないよう気をつけたのだが純白の衣装に、痣のように見える、いくつかの赤い染みがついてしまった。
 マネキンには顔がなかったけれど、《僕には顔を作り出すことできるのではないか?》と思った。《何しろ僕は王様なんだから》
 そして念じてみると実際に顔が現れた。梨華ちゃんの愛くるしい端正な顔が首の上に立ち現れたのだ。我が目を疑ったけれど、疑うことに意味なんてないと思った。
 《今ここに梨華ちゃんの顔がある、それが全てだ。それに疑ったりしたら消えてしまうかもしれない。これが妄想として在るのならなおさらだ。妄想なんて脆いものだ。いつ消えてもおかしくない。でもとにかく今はここに存在している。信じろ、疑うな》
 僕はそしてマネキンの体を生身の梨華ちゃんに変えることにも成功した。梨華ちゃんの頬に手を置くと、体温が感じられた。手首に手をあてると、脈拍が感じられた。ゆっくりと血が流れている。しかし梨華ちゃんにいくら話しかけても、ぜんぜん返事をしてくれない。
 「ねえ梨華ちゃん、返事してよ。何かしゃべってよ。お願いだから。僕は王様だよ。返事しないといけないんだよ。死刑になっちゃうよ。ねえ僕の后になってくれない? 君が好きなんだ。お金持ちになれるんだよ。何も不自由しないんだよ。何でも手に入るよ。働かなくていいんだよ。それに僕がたくさんたくさん愛してあげるよ。ねえだからさ、僕と結婚してください。ねえどうして何も言ってくれないんだい。何か不満なのかい。ねえ目を開けておくれよ」
 そして僕は思った。
 《目が覚めない人にはキスをすればいい、という話があったような気がする。あれは何の童話だっただろうか? シンデレラだったかな。そう、シンデレラだ。いや、ちがう、何だっけかなあ、まあいいやそんなことは。とにかく僕が、最も新しい童話になるのだ。人びとは僕と梨華ちゃんのキスシーンを子々孫々まで語り継いでいくだろう》
 僕は梨華ちゃんにキスをしようと顔を近づける。まさに唇が触れようというその時、「なんだ君は!」と野太い声が尋ね、僕はそれに答えて「なんだチミはってか? ……そうです、わたしが変なオジサンです!」