その37 大浴場に向かう我々

 せっかくだから大浴場に行こうか、という話が阿久津さん(仮名)から出た。バスツアー参加者には一人一枚、大浴場の入場チケットが配布されていた。大浴場は敷地の中央のフロント棟内にあるため、コテージからフロント棟に移動しなければならなかった。敷地がだだっ広いため、中央から遠いところにあるコテージの人たちは、タクシーみたいなものを呼び出し、それに乗ってフロント棟に赴く必要があった。めんどくさい。しかし、僕らのコテージは運よくフロント棟の間近にあったので、歩いて3分で行くことができる。めんどくさくない。というわけだったが、尾藤さん(仮名)は「俺はシャワーを浴びるからいいよ」、出口さん(仮名)も「俺もいいや」と不参加を表明した。出口さんにいたってはシャワーすら浴びなさそうな雰囲気をかもしていた。僕は出口さんに対して、「今日はライブもあって汗をかいただろうし、明日も種々のイベントで梨華ちゃんと緊密なコミュニケーションをするのだから、お風呂に入るなりシャワーを浴びるなりした方がいいと思いますよ、紳士として」ということを思ったが、口に出しては言わなかった。もしかしたら、出口さんはこっそりシャワーを浴びるかもしれない。朝にシャワーを浴びる習慣の人かもしれない。ヲタも人間であり、それぞれ様々な習慣や趣味嗜好を持っているはずで、初対面だったらなおさら、その人の習慣・趣味嗜好・思想信条を尊重する必要があるのだ。

 まだ外からは雨音が少し聞こえていたので、僕は阿久津さんと志村さんとともに傘を持ってコテージを出た。光が乏しく視界が悪い中、木と土で出来たがさつな造りの急な階段を降りていく。土の部分は雨でぬかるんでいて、少しでも油断すると足を取られて転がり落ちて死んでしまいそうだった。僕は普段から、梨華ちゃんが好きすぎることが原因で、死にたいということを頻繁に思っているが、このときは死にたくないと強く思った。今は死ぬべきタイミングではない。自分のバスツアー中に死人が出たら梨華ちゃんは非常につらい気持ちになるだろう。一生のトラウマになるかもしれない。でももしここで僕がうっかり転がり落ちて死んだら、梨華ちゃんが葬式に来てくれるかもしれない。それは嬉しい。じゃあ死んでもいいのかもしれない。いや、いけない。そんなのってあまりにも独りよがりすぎる。それに、僕にはまだやり残したことがある。それは七夕バスツアーの二日目を梨華ちゃんと楽しく過ごすということだ。梨華ちゃんと一緒の時間を過ごすということが僕にとっての一番の幸せなのに、それを目前にして死ぬとは何たることか。生まれてきた意味がない。だいたい、死後に梨華ちゃんが葬式に参列してくれたところで、いったいどうなるというのか。僕は死んでるから、来てくれたかどうかすらわからないのではないか。ダメじゃん。むしろ式に参列した僕の友人たちが「あ、梨華ちゃんが来ているぞ。これはお近づきになるチャンスだぞ」とか言って梨華ちゃんに近づき、「このたびはふちりんさんが不運にも階段から落ちて死にましたが、大好きな石川さんに来てもらって、本人もあの世で喜んでいると思います。故人への手向けです。一杯やりましょう。故人も酒が好きでしたから」とか言って一緒に酒飲んだりするんじゃないのか。お前ふざけんなよ。僕が死んだのを利用してなに梨華ちゃんとちょっといい感じに酒を酌み交わしてんだよ。ぜってー死なねーからな俺は。こんなところで死んでたまるか。明日はグループトークという夢みたいなイベントがあるんだ。せめて明日までは、なんとしても生きてやるぞ! うおー!と思いながら、コテージから山道までの暗く長い階段を一歩一歩慎重に降りていったのだった。